むかし月ヶ瀬の一部を含む伊賀盆地に琵琶湖が存在した時代がありました。これを古琵琶湖と言います。今は滋賀にある琵琶湖ですが、600万年~300万年前頃には三重県の伊賀盆地あたりにあり、その後、北に移動しながら、約60kmも離れた現在の琵琶湖になったというものです。子供の頃から「自宅付近を境に伊賀上野側は、昔、琵琶湖があった処で、近所に亜炭や粘土が産出される場所がある」ことなどは知っていたのですが、最近、古琵琶湖発生(誕生)の地が、月ヶ瀬付近であることを新たに知りました。これは『移動する湖、琵琶湖(京都自然史研究所 発行、横山卓雄著)』という本に、「最初、古琵琶湖が発生したのは約600万年前、伊賀盆地西方の月ヶ瀬石打ブロックである」と書かれていたからです。この古琵琶湖の時代につくられた地層は、古琵琶湖層群と呼ばれ、当園の茶園が点在する地域の半分ぐらいの面積の地表面を覆っています。【地表面が異なる年代の地質の境目(不整合面)となっている茶園を参照】
古琵琶湖層「群」というように、大きな川の跡があり丸い石をたくさん含む所、この辺りでは見たこともない土が重なりあっている所、焼き物に使うような粘土が深く堆積した所など、とにかく多種多彩な鉱物で覆われた様々な地層があります。今の段階ではっきりと言えることは、大きな川があったり、堆積した粘土があるということは、その土(鉱物)は遠くから運ばれてきたものであり、場所毎に調査してみないと、そこの土質は分からないということです。言い換えれば、点在する茶園ごとに、いろいろなお茶をつくることができる可能性のある環境だということです。
古琵琶湖の地層が広がる茶園の高台から伊賀盆地を見下ろすと、「600万年前、この辺りは、いったいどんな光景だったのだろう?」という気持ちになります。奈良・月ヶ瀬の自然のリズムでお茶が育つよう意識した有機栽培そして自然栽培に取組むと、その地域の自然環境そのものが、お茶の特徴となって表れてきます。そのようなことから、これからは古琵琶湖発生の地であることを意識したお茶づくりを展開することで、これまで気づいていなかったことに気付けるようになりたいと考えています。まずは昔ながらの地形が壊れていない茶山の表土に、茶樹の根がしっかりと張るような茶園環境づくりからです。